M-1優勝が決まりましたね!
ウエストランドおめでとうございます!
大学からずっと岡山に住んでいたので、岡山出身の人には勝手に親近感を湧いてしまう。
と言っても私は最近はあまり芸人を見ていなくて、2010年位まではしっかり見てたけど、今年もリアタイ視聴はしていなくて後でYouTubeでネタを見ただけなんだけどね。公式で動画上げてくれるの助かる~。
グチ漫才面白かった!
「そうか~ネタにメッセージ性詰めてくるうざいコント師とかいるか~!」が一番好き。完全なる罠のネタ運びで面白かった。
で、最初のネタの方の中にあった「恋愛映画は全部一緒!」の流れで言われていた
「「感動したな~」悲しいだけだあんなの!」に激しく共感したのが私です。
これ!マジでそう思う!!
最近ちょっと悲しい話が多すぎません?
そんでそれを「感動した」「涙が止まらない」って当たり前じゃない⁉
そりゃ悲しいと泣くよね?
”感動”って『感』情が『動』く事をいうから、そりゃ人が死ねば感情は動くでしょ。動かないと人の心が無い判定でしょ。一番安易な感動のさせ方だな、てずっと思ってた。
要は私はウルトラハイパーハッピーエンド厨なので、人が死ぬ話が嫌いって話なんだけど。
いや、正確には違う。
人は死ぬ。それは仕方ない。
その「『死』に意味が無い」のが嫌なんです。
ただただ”悲しい展開”のためだけに、キャラが死ぬのが本っっっ当にダメで……。
これは嗜好の話なので、そういう作品を否定したい訳ではない事は一応言っておく。
だがエンタメとして、苦難や不幸は乗り越えてこそのカタルシスじゃないの⁉と思うんだ。
エンタメって、色々苦難があっても、それを乗り越える構成を考えるものだと思ってたんだけど、昨今は「どうしようもならない事はならない」てのを結構見る。
しかもそれが「現実的で素晴らしい」「こっちの方が高尚である」みたいな評価をしている人も結構見かけて、ウルハイハピ厨は「はぁん⁉(# ゚Д゚)」てなる訳ですよ。
創作ってのは現実とは別物なんだから、現実的である事を良しとするなら現実だけ生きてりゃ良いじゃん!!
ただこの考えは結構オタク的であるみたいで、自己投影で創作物を嗜む人は結構いるらしいけど。
ともかく、悲しい、つらい、しんどい作品だけを「よく考えられている」と評する風潮がどうにかなれば良いなと願うウルハイハピエン厨なのであった。
おわり!
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