2022年12月14日水曜日

『すずめの戸締まり』感想(と言う名の露骨な猫贔屓によるダイジンの救いを求めた文)

  『すずめの戸締まり』を見てまいりました。

©すずめの戸締まり 新海誠監督

 実は私、新海誠監督映画を観るのが初です。
『君の名は』は観に行こうと思ってたら同僚に盛大なネタバレをされ拗ねて観ず、『天気の子』はセカイ系という噂を聞き、メリバの気配を察知して避けました。

 で、この『すずめの戸締まり』は、よく見ているアニメレビューYouTuberさんが「強引なまでのハッピーエンド」と言っていたので観に行く事に。ちょうど映画館の近くに用があったしね。(八の住んでいる所から映画館まで車で1時間掛かる)

 映画が始まってすぐ、映像の、背景の綺麗さに驚いた。
 更に、ヒロインの鈴芽の動作ひとつひとつにフェチズムを感じ、町や建物のこだわりもすごい。何これ。「もう変態じゃん!このこだわりぶりは変態じゃん、新海誠監督って!」て思った。
 そんでもって、展開の早さにも驚いた。一時も目が離せない。

 ストーリーは、九州の宮崎県に叔母と二人で住む鈴芽(すずめ)が、登校中にどこかで見た事がある美青年を見つけ、その後を追う事から始まる。
 青年:草太が目指した廃墟で、扉を見つけたすずめはその扉を開けるが、中に入れない。更にその足元にあった石の像を持ち上げて引っこ抜いてしまう。
 その石は地震の元であるミミズを封じている『要石』で、すずめが要石を抜いて、扉を開けた事によりミミズが外に出てきてしまう。
 全国の扉を閉めて回っている『閉じ師』の草太と協力して扉を閉め、ケガをした草太を手当てしていると、ガリガリに痩せた猫が現れ、すずめはその猫にエサを与え「うちの子になる?」と問いかける。
 しかしその猫こそ、『要石』であるダイジンだった。
 ダイジンは、草太をすずめのイスに閉じ込め、姿を消す。
 要石であるダイジンを掴まえ、草太を元の体に戻して、再び『要石』としてミミズを封印する為に、すずめとイスになった草太の旅が始まる。―――というもの。

[ここからネタバレ注意]


















 旅は、宮崎から始まり、愛媛、神戸、東京、そして宮城に行きます。
 その中で、災害の被害に遭った人、場所、その想いを知りながら、すずめは成長し、草太は人としての意識が保てなくなっていく。
 愛媛では通っていた中学校が土砂崩れで廃校になった少女に、神戸ではシングルマザーでスナックを営む女性に(直接出ていないけど、夫は阪神大震災の被害者かも)、東京では草太の友人と祖父が出てくる。
 情景を描くのがとても綺麗で、ひとりひとりの描写も丁寧。
 ミミズの表現も派手ですごいけど、突然のCG部分はちょっと違和感があった。
 スマホや地図アプリなど、現代の表現が多いのも共感出来て良かった。

 そしてついに、『要石』としての役割を草太に移されていた事が判明し、東京で封印が解かれたミミズを相手に、すずめは草太を『要石』として挿すしかなかった。
 草太が『要石』として挿され、ダイジンは喜んですずめに「やっとじゃまものがいなくなったね!」とすり寄る。それにすずめは激高し、「あんたのせいで!」とダイジンを拒否する。
 ダイジンは驚いて、「すずめはダイジンのこと、好きじゃないの?」と問いかけ、すずめはそれに「あんたなんか大っ嫌いよ!」と叫び、ダイジンにもう話しかけるなと言う。
 ダイジンはフワフワだった体から、最初の時の様にガリガリにやせ細った体になり、暗い顔でその場を去る。

 ここ!
 ここからもうダイジンに意識が行って、どうしようもなかった!!(泣)

 その後すずめは、草太を取り戻すために(自分が身代わりになるつもり)扉の向こうの世界、常世に行くために、草太の祖父の助言を受け、草太の友人である芹沢とすずめを探しに来た叔母の環と、そして付いて来たダイジンと宮城に向かう。
 途中、もう一つの『要石』であるサダイジンも旅に加わり、すずめの昔住んでいた家にたどり着き、『扉』を見つける。
 常世の世界で、再び復活しようとする大ミミズをサダイジンが抑え、草太を救おうとするすずめに、ダイジンは『要石』に戻る決意をし、草太を救出。そして「すずめの手でもどして」と言って要石の姿になり、草太と共に大ミミズを封印。
 幼い頃、母を探してさまよい常世の世界に迷い込んだ自分にイスを渡し、未来は明るい事を伝えたすずめは、元の世界へと戻る。
 めでたしめでたし


 ダイジンは――――――!!???


 これじゃあまりにもダイジンが切なくて悲しすぎるよ!!と泣いた猫好きは多かったはず。私も泣いた。帰りの車でも泣いたし、帰ってうちの猫撫でながら泣いたし、何なら今これを書きながら泣いている。

 いや、分かっている。
 ダイジンは元々『要石』だったのに、『要石』としてのお役目を放棄したし、草太に押し付けようとしていたし。何なら途中は悪役みたいな動きを見せていたし。
 それでもあの、「あんたなんか大っ嫌い」と言われ、絶望した顔でやせ細ったダイジンの姿はかわいそすぎる。その後「ありがとう」と言われただけで、嬉しそうに元のかわいい姿になって、再び『要石』として封印されるなんて、報われなさすぎる。
 そう思い、考察サイトとかをいくつか見て、自分を納得させるためにも映画を思い出し、こうではないかという話を書きます。

 まずダイジンの正体。
 考察サイトとかでは、元人間、閉じ師説が結構あったんだけど、私はこれは違うと思う。
 何よりもダイジンの思考が「ヒトとは違う」からだ。
 『要石』はそもそも神である。ダイジンも『大臣』ではなく『大神』であり、神なのだ。(草太は人間だったから数十年かけて神になる必要があると祖父が言っていた)
 ダイジンは、すずめに「うちの子になる?」と言われ、嬉しくて、でも『要石』としてのお役目があるからどうしようかなと思ったら、ちょうどそこに草太がいたので、すずめと二人になりたいからジャマだし、こいつにお役目を押し付けよう、と思った。というのが私の感じたダイジンの思想だ。
 すずめと草太はほぼ初対面であったが、ダイジンにとっては家族や大事な人を失うのが嫌だと言う意識すら無かった。だからすずめと二人になりたいのにいるコイツジャマだなーくらいの思いしか無かったから、すずめが嫌がるとも悲しむとも思っていない。
 以上の事から、非常に幼い、もしくは「ヒトとしての感情を知らない」生き物であると推察される。
 なので私は、『元猫の幼い神』説を推す。
(九州にいたのは、熊本大震災を抑える為のと考えれば、要石になって7年。声優をした子役の子も当時7歳だったらしい)

 そしてダイジンの行動の意味。
 そもそも、『要石』の封印場所は、時期によって変わる、という大前提がある。
 つまりダイジンは、移動しなければいけない時期だった。
 これは草太の祖父が「孫はしくじったか」と言っていた事、ダイジンを見ても驚かなかった事から推察される。通常の閉じ師の見回り仕事で「しくじったか」の言葉が出るのは違和感がある。彼もまた、『要石』を移動させる仕事をしたことがあるのではないか。
 だからダイジンは自分を抜く様に、すずめに促し(ここにすずめが来たのは偶然で、本来は知識を持った閉じ師が来るべきだった)、そして移動場所に案内しようとすずめの家に訪れた。その時に「うちの子になる?」という誘惑に負けたと思われる。
 フェリーから高速船に乗り替えた際、すずめが「行き先は一緒」と言っていたのに違和感があったのだ。逃げる為なら、別の目的地の船に乗ればいい。あの賢い猫が、それを出来ない訳がない。
 その後もわざと目立つ行為(明石橋を渡ったり、電車に乗ったり)を繰り返し、すずめ達が追ってくるように促している。
 ではなぜ掴まってあげなかったのかと言うと、草太が人間としての意識を失い『要石』となるのを待っていたのだろう。この辺が「ヒトではない思考」である。
 扉に案内していたのも、おそらく草太を『要石』として使う場面を用意していたものと思われるが、ここは置いておこう。
 結論、ダイジンは時間稼ぎをしながら、次の『要石』の封印場所に案内していた。

 以降はダイジンの封印に心を痛めた人に向けた、救いの考察である。

 まず、どうしてこんなにダイジンは雑に扱われたか。
 仮にも神様である。しかも日本の地震を防ぐ封印をしている。
 その割には、閉じ師の草太のダイジンへの扱いが雑すぎる。本来であれば、祖父の様に敬意をもって接するべきだろう。
 これは『要石』の封印場所が2つあり、移動しなければいけない事についても、今の封印場所についてもうろ覚えだった草太の様子を見るに、彼が未熟だったからではないかと思われる
 祖父が入院している事、草太は教師を目指している大学生である事からも、草太の閉じ師としての活動はもしかすると、最近始めたばかりなのかもしれない。更に言うなら、祖父の入院がキッカケであるならば、草太は閉じ師としての知識がまだ少ないのではないか。だから資料で見た事はある気がしても、知識として落とし込んでいないから、大神に対する敬意も知らないのではないか。
 もしも草太がダイジンに対して敬意をもって接していたら。それをすずめにも伝えていたら、すずめも少しはダイジンの気持ちや行動の意味を考えてくれたのかもしれない。
 こういう突然非日常が降って沸く話には、事情を知るナビゲーターが必要である。草太はそれには、未熟だったと推察する。

 次に、ダイジンがどうしてフワフワになったりやせ細ったりするか。
 それはダイジンが『神』であることからだと思われる。
 土地神などは「人からの信仰」を力にし、それを無くすと消えてしまうなどと言われている。
 ダイジンも同じで「人に愛されていると感じる」事が糧なのではないか。
 「うちの子になる?」というすずめの言葉は、ダイジンにとって最上級の愛の言葉であったのだろう。幼い神が、少なくとも7年間ずっとひとりだった子供が、「ずっと一緒にいよう」を意味する言葉に揺らぐのは、仕方がない事だと思う。

 ではなぜ、ダイジンは再び『要石』となる決意をしたか。
 そしてその結末は、本当に悲しいものだったのか。

 ダイジンが再び『要石』となる決意をしたのは、誰もが分かる。
 すずめが「私が代わりに(要石)になる」と言ったからだ。
 すずめが『要石』になってしまえば、すずめとずっと一緒にいられる事は出来なくなる。何よりも『要石』の経験があるからこそ、あの孤独を知っているからこそ、大好きなすずめを『要石』にはしたくなかった。
 そしてすずめが、草太に対しても同じ思いである事に気付いた。
 ここまでは映画を観ていても分かった。だからこそ切なくて悲しかった。やりきれない。もっと無かったのか、て思った。
 だから考えた結果。

 ダイジンはひとりぼっちに戻ったのではない。

 『要石』は一つではない。
 もう一つの『要石』サダイジンがいるのだ。

 サダイジンは東京に封印されている事から、ダイジンよりもずっと長く『要石』の役割をしており、少なくとも東京に移動してから100年近く経っている。(関東大震災は1923年)
 今回のダイジンの「移動」を案じ、おそらく自ら抜いて追ってきた事が予想される。後輩?の『要石』を心配して。
 そして環の意識を操作し、すずめに投げかけさせた言葉は、すずめがダイジンに言った言葉の仕返しと思われる。
 「うちの子になりなさいって言ったのは、環さんじゃない!」と言うすずめに、環は「そんなの覚えていない!」と言ってすずめを引き取った事の不満をぶつける。それにショックを受けるすずめだったが、それはまんますずめがダイジンにした事だ。
 「うちの子になる?」て聞いたのは、言ったのは、すずめだ。
 だがすずめはそんな事は忘れ、ダイジンを拒否した。
 
 その事を、サダイジンは怒っていたのだろう。
 お役目を投げ出してしまったのはダイジンではあるが、幼子を誘惑したのはお前だと。

 すずめがそれを察した表現は無いし、ダイジンもすずめを苛めるサダイジンに怒っていたが、すずめの無意識の発言に対する復讐はここで為されていた。
 その後、旅に同行したサダイジンは、文字通りダイジンを猫かわいがりしていた。
 体で包み、毛づくろいをし、愛情を伝えていた。
 お前はひとりじゃないと伝えていた。

 その事もあり、ダイジンは「すずめの子にはなれない」と、自分で選べたのだ。
 私はそう思いたい。

 出来ればすずめと草太に、ダイジンを思い出す、彷彿させるシーンがEDにあったら嬉しかったが、これはすずめと草太の物語であって、神には神の物語があるのだ。

 だからあの、かわいくて、幼くて、賢くて、少し残酷で、愛に飢えた小さな神様は、これからもお役目を頑張っているのだと思う事にする。

 おわり!

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